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2019_0707_123916 津田駅

Photos: 2019_0707_123916 津田駅

Photos: 2019_0707_123940 津田駅 Photos: 2019_0707_123838 津田駅

学研都市線の東から長尾駅ー(藤阪駅)ー津田駅は枚方市 河内磐船駅ー星田駅は交野市
(寝屋川公園駅)ー忍ヶ丘駅は寝屋川市 四条畷駅が四条畷市にあります。
長尾駅から先は京都府に入り(松井山手駅)ー大住駅ー京田辺駅ー(同志社前駅)ー(三山木駅)ー下狛駅ー祝園駅ー西木津駅ー木津駅となりますが、()のついた駅は私が高校生の頃(35年前)はなかった駅です。沿線の宅地化が進むにつれ、駅数も1.5倍に増加しています。

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Comments (3)

  • kame

    やっぱり東西線開通が大きかったのでしょうか?片町線と呼んでた時代から確実にイメージが変わりましたね~

    07-10-2019 10:12 kame (11)

  • キューチャン

    kameさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    私が片町線をよく使ったのは昭和50年代前半の高校生の頃で、ヤンタンで鶴光師匠に四条畷在住の角純一さんとセットで牛の引っ張る片町線などとボロ電車ぶりをいじられてた頃です。
    片町線が電化されたのは昭和7年で関西の国電ではトップでしたがその後が続かず、昭和50年代になっても時間が止まったままでした。戦前にできた老朽ボロ電車も普通に走っていて木製の床板の節の抜けた穴から線路が見えたり、貫通路の幌の破けたところから外の景色が見えたり、駅でドアがどこかにひっかかって閉まらなくなって車掌さんが慌てて走ってきて蹴飛ばして閉めたり、ある意味とっても楽しめる電車でした。
    ずっとそのまま行くと思っていたのですが、昭和50年代後半になると遅れていた宅地開発が始まって環状線や首都圏のお古ながら昭和30年代後半にできた所謂新性能電車の101系103系が入り始め、四条畷~長尾間の複線化、そして昭和60年代~平成にかけJRへの移行とともに松井山手駅の開業と木津までの電化、東西線の開通を睨んで名称も学研都市線と変わって地下への乗り入れのため電車も一斉に207系へと刷新されました。東西線が本気で考え始められたのは昭和50年代後半、実際に着工されたのはJR移行直後なので、仰るように東西線が片町線の近代化に果たした役割は大きいですね。

    07-10-2019 20:31 キューチャン (34)

  • キューチャン

    TAKESHIさん
    ☆ありがとうございます。

    08-17-2019 21:10 キューチャン (34)

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